A社長は、今日も朝から営業に出ていました。創業から十数年。社員は20人ほどになり、売上も数億円まで成長しました。会社がここまで大きくなった理由の一つは、間違いなくA社長の営業力でした。お客様と少し話せば、何に困っているのかがなんとなく分かる。「この会社なら、この話から入った方がいい」「この担当者が気にしているのは、価格じゃないな」「次の商談には、社長にも入ってもらった方がいい」長年の経験から、自然と判断できました。昔からのお客様から、「知り合いの会社が困っているから、一度相談に乗ってあげてよ」と電話がかかってくることもあります。そこから新しい商談が生まれ、また別のお客様を紹介してもらう。社員からもよく言われました。「やっぱり社長が行くと決まりますね」A社長自身も、「いつかは営業を社員に任せないとな」と考えていました。実際、営業経験者を採用したこともあります。前職ではかなり売っていた人でした。商品を教え、商談にも同行しました。ところが、なかなか思ったような成果が出ません。営業代行会社を使ったこともあります。アポイントは増えましたが、受注には思ったほどつながりませんでした。結局、「やっぱり、うちの商売は経験がないと難しいんだよな」という結論になりました。そしてA社長は、また自分で営業に出るようになりました。それで売上はつくれます。会社も成長しています。だから、それほど大きな問題には見えませんでした。
■ある月曜日、A社長が会社に来なかった
社員に一本の連絡が入りました。A社長が体調を崩し、入院したという知らせでした。命に別状はありません。ただ、医師から数か月は仕事を休むように言われました。社員たちはもちろん、社長の体を心配しました。そして、その日の午後。別の問題が出てきました。「明日の○○社との商談、どうしましょう?」長年付き合ってきた重要なお客様です。顧客情報は会社にあります。過去の見積書もあります。メールも残っています。でも、なぜ今、この提案をしているのか。相手は本当は何を気にしているのか。次は誰に会うつもりだったのか。どこまで話が進んでいるのか。それが分かりません。結局、社員は病室のA社長に電話しました。「社長、すみません。○○社の件なんですが……」翌日も電話がありました。「このお客様、来月更新ですが、どうしましょう?」その次の日も、「社長からの紹介だという会社から連絡が来ています」。会社には顧客データも営業資料もありました。営業担当者もいます。それなのに、社長がいなくなると判断できないことが次々に出てきました。A社長は会社を休んでいるはずなのに、病室でも営業を続けることになりました。
■一方、少し違う道を歩んだ社長がいました
B社長も、以前はA社長とよく似た働き方をしていました。創業以来、自分が営業の中心。大切な商談には自分が行き、売上が足りなければ自分の人脈に電話する。社員から相談されれば、「俺が行った方が早いな」と商談に同行する。そして実際、B社長が行くと売れました。そんなある日、経営者の交流会で、一人の営業の仕組み化を支援するコンサルタントと出会いました。雑談の中で、こんなことを聞かれました。「社長が一番売れるんですか?」「まあ、そうですね」「どうして社長は売れるんでしょう?」B社長は少し考えました。「経験ですかね。相手と話していると、なんとなく分かるんですよ」「何が分かるんですか?」そう聞かれると、答えに困りました。「何って……何となくですよ」コンサルタントは言いました。「では、社長が商談で何を見て、どう判断しているのか、一度整理してみませんか?」B社長は、その場では曖昧に笑って答えました。「まあ、機会があれば」正直なところ、心の中では、「自分の営業のことを、外部のコンサルタントに何が分かるんだ」と思っていました。自分は十年以上、このやり方で会社を成長させてきた。お客様のことも、自社の商品も、自分が一番よく知っている。わざわざ外部の人に営業を教えてもらう必要はない。名刺はもらいましたが、その日はそれで終わりました。
■自分の営業なのに、自分では説明できなかった
数日後、営業担当者から、ある商談について相談を受けました。「社長だったら、このお客様にどう提案しますか?」B社長はすぐに答えました。「俺だったら、まだ提案しないかな」「どうしてですか?」そう聞かれた瞬間、言葉に詰まりました。「どうしてって……まだ早い感じがするんだよ」「何を見て、そう思うんですか?」「それは……」うまく説明できません。別の商談でも同じでした。「社長は、どうしてこの質問をするんですか?」「なぜこの会社には、この事例を話すんですか?」自分では分かっているつもりなのに、説明しようとすると「経験」「勘」「なんとなく」という言葉になってしまう。そこで、交流会で言われた言葉を思い出しました。「社長が商談で何を見て、どう判断しているのか」自分で整理してみようと思いました。ノートを開いて、普段の商談について書き出してみます。商談前に何をする。最初に何を聞く。次に何を聞く。でも、何か違います。自分が本当に知りたいのは、商談の手順ではありません。「なぜ、そのとき自分はそう判断したのか」です。そこになると、手が止まってしまいます。B社長はようやく気づきました。自分が意識してやっていることなら、自分でも整理できる。でも、十年以上繰り返して、いつの間にか無意識にできるようになったことを、自分自身で見つけるのは難しい。コンサルタントに営業を教えてもらう必要はない。でも、「自分でも気づいていない自分の営業を、外から見つけてもらう」ことなら意味があるかもしれない。数日後、B社長は名刺を探しました。そして、交流会で会ったコンサルタントに連絡しました。「この前の話なんですが、一度詳しく聞かせてもらえませんか?」そこから、B社長の営業を整理する作業が始まりました。
■「なんとなく」の中に、いくつもの判断があった
コンサルタントは、過去の商談を一つずつ掘り下げました。なぜ、この質問をしたのか。なぜ、このお客様にはすぐ提案しなかったのか。なぜ、この会社には、この事例を話したのか。ある商談では、予定していた提案を途中でやめていました。「なぜ、ここで提案をやめたんですか?」B社長は商談を思い出しました。「先方の社長が『現場は特に困っていないと思う』と言ったんですよ」「それがなぜ気になったんですか?」「その前に担当者が『毎月かなり大変だ』と言っていたから……」そこまで話して、B社長自身が気づきました。自分は無意識に、社長と現場の認識のズレを見ていたのです。別の商談を振り返ると、「この言葉が出たときは、必ずもう一度質問している」「このタイプのお客様には、いつも同じ事例を紹介している」「決裁者がこの反応をしたときは、その場で提案を進めていない」といったことも見つかりました。自分では「経験」や「勘」だと思っていた営業の中に、いくつもの判断ポイントがありました。B社長は、自分の営業だから自分が一番分かっていると思っていました。でも実際には、自分の営業だからこそ、当たり前になりすぎて自分では見えないことがありました。一人で仕組み化しようとしても難しかった理由が、ようやく分かりました。そこで整理された判断ポイントを、営業担当者にも少しずつ共有していきました。
■数年後、B社長の仕事は変わっていた
B社長が営業をやめたわけではありません。大切なお客様には今でも会いますし、ここぞという商談には参加します。でも、「社長がいなければ進まない商談」は少しずつ減っていきました。以前なら、「社長、この案件どうしたらいいですか?」と聞いていた社員が、「以前の○○社と状況が似ています。ただ、この点が違うので、今回はこう進めようと思います」と話すようになりました。B社長の予定表も変わりました。来期の事業計画。新しいサービスの検討。幹部とのミーティング。採用面談。新規事業のパートナーとの打ち合わせ。以前は、目の前の売上をつくることで一日の大半が終わっていました。今は、「来月の売上」だけではなく、「3年後、5年後にどんな会社にするのか」を考える時間があります。B社長は、ようやく本当の意味での「社長業」ができるようになりました。実はB社長には、自分が営業の前線から離れたら売上が落ちるのではないか、という心配もありました。ところが、結果は逆でした。営業担当者が自分たちで商談を進める。うまくいった案件があれば、「なぜ今回はうまくいったのか」を振り返る。そこで新しく見つかったことが、また次の商談に使われる。以前はB社長一人の中に蓄積されていた経験が、今度は会社の中に蓄積されるようになっていました。そしてB社長自身は、空いた時間を次の成長に使えるようになりました。新しい事業を考える。次の幹部を育てる。採用に時間を使う。新しい市場を探す。会社全体を見る。その結果、B社は以前よりさらに成長していきました。
■「社長が売れる」の中には、何が入っているのだろう
A社長もB社長も、営業が得意でした。二人とも、自分の力でお客様を増やし、会社を成長させてきました。そして二人とも最初は、「自分がやった方が早い」という状態でした。違いが生まれたのは、「社長が売れる」という一言の中身を見たかどうかでした。どんなお客様に可能性を感じるのか。商談のどこを見ているのか。どんな一言に違和感を持つのか。いつ提案し、いつ提案しないのか。誰を次の商談に呼ぶのか。なぜ、この事例を出すのか。長年営業をしている本人にとっては、どれも「普通のこと」なのかもしれません。だからこそ、「自分のやり方を社員に教えればいい」と思っても、何を教えればいいのかが分からない。「俺の商談を見て覚えて」となってしまう。もしかすると、「社長の営業は属人的だから仕組みにできない」のではなく、社長自身にも、自分が何をしているのか見えていないだけなのかもしれません。もし少し確かめてみるなら、直近の商談を一つだけ選び、「なぜあの場面で、あの判断をしたのか」を書き出してみるだけでも、自分では意識していなかったものが見えてくるかもしれません。A社長の会社にも、B社長の会社にも、売れる理由は最初からありました。違ったのは、その理由がどこにあったか。一方は、社長の頭の中。もう一方は、少しずつ会社の中へ。もし今、会社で一番売れるのが社長自身だとしたら。「なぜ自分は売れるのか?」そう聞かれたとき、その理由を社員にも分かる言葉で、どこまで説明できるでしょうか。「仕組み化」とは、具体的に何をすることなのか。その中身については、次の記事で整理していきます。

